「ミントはどこにだって一緒に行けるようになったんだよ」

ミントの心臓が止まった後しばらくして、亡骸をどうするか妻と相談しました。


一般的には「保健所に引き取ってもらって焼いてもらう。」になるのですが 大阪市に問い合わせたところ「環境事業センター」というゴミ焼却場に申し込んで焼いてもらう。という対応だそうです。

少し詳しく聞くと、個別の火葬には対応しておらずほかの動物も混じった合同焼却というかたちの扱いとなり、そうして焼かれた亡骸は骨も残ることなく灰になるそうです。

舞洲のあの「ゴミ焼却場」?それはなんだか気持ちが落ち着かない気がして

骨を拾える火葬をしてくれるところを探しました。荷台に焼却炉を設置した車両などで出張で来てくれて焼くという方法もあるようでしたが周りに聞くとあまり評判がよくないのでどうしようか迷い始めました。

その日だけでは決まらず、翌日ゆっくり探すことにしてその日はミントの横で寝入ってしまっていました。

まだ温かい感じのするミントの毛並みをジーっと見ているとかすかに動いたような気がして、「まだ生きてる?」っとドキッとして、

柔らかい毛に包まれたカラダに触れてみるとやはり動いているわけはなく、だんだん冷たく、足からだんだん体全体が硬直していくのを実感しました。


12月2日

翌朝、火葬する場所を谷町の「ペットマザー」というところに決め予約の電話をいれました。

お寺に併設された施設なのですが、飼い主の宗教に関係なく火葬してくれること。ミントの暮らした街から出ないこと。家から離れないこと。が決めてでした。

電話をかけた当日は日曜日だったせいもあり予約がいっぱいとのことで翌日の月曜日、12月3日に予約しました。

丸一日、慌てる気分になることもなく最後の一日をミントの横でのんびりできたし、寝てるだけでなく。息も吹き返すことなんてないってことを十分に納得する時間がもてたので有意義だったな。と思います。


あとで、死後硬直が始まる前に手足をたたんで置くほうが良いということを知りました。

けいれんあとのピンと伸びた手足はすでに硬直していたのでもうそのままにするしかありませんでした。


かかりつけの動物病院が開くころ、前日の支払いの残りを届けに行き、先生にご挨拶しました。

先生に「ミントちゃんどうされるのですか?」と尋ねられたので「谷町の火葬場にしようと思っています。」と答えたところ「ペットマザー?そこなら。。。(安心ですね)」という反応だったので少し安心しました。

亡骸を翌日まで保存しておくにはどんなことを気をつけたらよいか尋ねたところ「カラダは死んでもおなかの中の細菌などはまだ生きていてガスが溜まったりすることがあるので、できるだけ冷やしておいたほうがよい」と教わりました。

あと「肛門や口から汁が出てくることがあるのでペットシーツを幾重にも重ねて下に沁みないようにしたほうが良い。」とも言われました。

いつもトイレに使っているペットシーツの上にじかに寝かせるのは抵抗があったので、僕が気に入って使っていたバスタオルを敷きました。


ミントの写真でアルバムを作るため梅田に大きくて分厚いアルバムを買いに行き、その足で骨の破片を入れるためのステンレスのケースを買いに行きました。


もうすぐ昼時だったので朝食と昼食を兼ねて土佐堀通りの北浜にあるレストランに入りました。そこは以前からミントのお散歩で前を通るたびに気になっていたのですが、「ミントと一緒じゃ入れないよね。」って入ったことのないお店でした。


窓に向けられたカウンターの席に案内されると目の前は土佐堀川で、

その対岸は、いつもミントを連れてお散歩してた中之島公園でした。

天気がよく、真上から強い陽が射して光に包まれていて影が全然ない“のっぺり”とした立体感のない景色のなかに見えるのは

ミントが登ったり降りたりして喜んでいたベンチ。
川べりを覗き込むために首を出していた柵。
動画撮影のために何度も何度も往復して歩かせたバラの植込み

手に届きそうなくらい近くはっきりと見える距離なのに、
写真や絵画の”風景”として見せられているような、もうその中には入れない。入る資格がないんだよという現実を目の前に突き付けられているようでした。
草木の緑も白い護岸の石も川面の反射もすべてがまぶしく目の奥まで刺すように痛く、そのせいで目の前が少しにじんでいくように感じました。

頼んだハンバーグの味がわからず重く胸につっかえて食事を注文したことを少し後悔しました。

・・・

夕方、ほんとは靱公園のバラが欲しかったのですが、そんなわけにもいかないので靱公園のそばにある花屋さんにバラを買いに行きました。

いつか使おうと思って置いていたずっしりとした分厚いガラスの花瓶をもっていって「これにはいるだけのバラをください」と言って準備してもらいました。

翌日、火葬で花を一緒に焼くつもりであることを話し焼くときに包むための白いつやつやの紙を余分にもらって帰りました。


帰宅するとまだ家の至るところにミントの気配が残っていて、

用事をしている僕をいつものように眺められている視線を感じたり、
足元に絡みつくようにまとわりついてくるので踏んづけないようにいつのように気を配って歩いたりしていました。

出かけるときも、チャッチャッチャッっとフローリングに爪が当たる音をたててついてくる音が聞こえて、ミントが連れて行ってもらいたそうに玄関まで追って来ているような気配を感じました。


「ミント。これからはお留守番しなくてもいいんだよ、どこにだって一緒に行けるようになったんだよ。」

その気配に声をかけました。


12月3日

火葬の当日、僕が目を覚ますとミントは傍らにいるのですが、手のひらで触れてもふわふわの暖かそうな毛の奥のカラダに触れるとヒャッと予想外の冷たい感触がありました。


前脚を握ったりするといつもなら嫌がって反射的に手を引っ込めるのですが反応ありませんでした。いつもなら考え直した風に「しかたないなぁ。。。」って握らせてくれてたのに。。。

舌を出して引っ込まないこと以外は最後の最後まできれいなまんまでした。

ミントの匂いを覚えておこうとミントのふわふわの毛に鼻をうずめてみたのですが期待したミントのカラダのにおいは全然しませんでした。。

陽が当たった砂場のような香ばしい匂いの肉球も好きだったのに、その愛おしい匂いを探しても全然見当たりませんでした。

それどころか、全く匂いがしませんでした。


病院で聞いた何かが出てくるような状態は全然なく。
ただ、出たまんまの舌がピンクから白に白から紫にそして黒っぽく色が変わってきたのかな?という程度の変化でした。


「最後の最後まで手のかからない子なんだね、いつも。。。もっとわがままでよかったのに。」


僕の気に入っていたバスタオルにくるんで火葬場に連れて行きお別れをしました。


紙袋に包んで持ってきたごはんやおやつをたくさん。
バラの花束を抱えさせるようミントの鼻先にいっぱいバラの匂いがするようにおいて、
自分の手にミントの感触をしみこませるようにいっぱい撫でました。


「生前の姿で会えるのは最後になります。」

そう言われたあと、台車に載せられたカラダが炉の前まで運ばれて、、、一回り小さい炉のステンレスの分厚い扉の向こうへ見送りました。「焼かなくていい!!」と口をついて出そうな言葉を必死で飲み込んでいました。重く締まっていく扉の奥から目が離せませんでした。

泣いてもいいのかな?なんて思ったのですが我慢してました。


1時間半程度お待ちください。と大きな観音像の存在感が部屋を狭く感じさせる地下の待機室みたいなところを案内されて妻と二人で革張りのベンチに腰を掛けました。

でも、落ち着かなかったので、お寺の中を見て回ったり、行ったり、戻ったり、一人でウロウロしてました。


僕はずーと思っていました。


もっと生きたかったんだろうなぁ。生きててほしかったなぁ。

数年後、ヨボヨボのミントをカートで日向ぼっこに連れ出すつもりだったのに。。。

お散歩のとき、ブログやツイッターのために夢中で写真を撮っていた僕に「そんなんじゃなくて、もっとちゃんとみて」「しゃしんとるためにほっていかないで」って思ってたんだろうなぁ。。。

休日の度にいろいろなところに連れまわしたけど、ほんとはいつもの公園か、おうちの中でゆっくりしたかったんだろうなぁ、出不精でおうちが好きだったもんな。。。

ミントが低血糖になって意識が遠のきそうなとき僕は鈍感やからそれに気がつかず抱っこしかしてやれなかった。

「ちがうんだよ。のうこうそくなんかじゃないんだよ。」とか

「あぁ、たすけてくれないんだ。」って絶望感みたいなものを感じたりしたのかなぁ?

意識がなくなるとき「おとうさん、わたしといっしょにきてくれないの?」って失望したのかなぁ?


1時間ほどで火葬が終わって呼びに来られたことを妻から聞き、いっしょにミントの骨を拾いに行くことになりました。


炉から引き出されたステンレス製の重そうな大きな台車の上でパンチングの金網が渇いた熱気を放っていました。

金網の上の散らかった白く乾ききった物体が、目が馴染んできてだんだんつながって、ミントの形に浮かんできました。


初めに「のどぼとけは手を合わせているように見えるから一番最後に骨壺に入れるんですよ。」と先に脱脂綿の上に取りよけてもらいました。

「爪とか歯なんかをケースに入れるんですよ」と教えてもらいステンレスの小さなケースに先に収めました。

生前の可愛い小さなカタチそのままの頭蓋骨や、爪も、歯も、尻尾も全部、そのすべてが見覚えのある形で、これもこれもミントで間違いないって示しているようでした。

どんなにどんなに磨いてもこんなに白くならなかった歯を、なかなかおとなしく磨かせてくれなかった奥歯なんかをちょっと恨めしくステンレスのケースに取り分けました。


火葬場で骨壺に収めてもらった骨を抱いて、家路につきましたが、

「ふたりっきりってなんか違和感あるよね。」って妻と二人お互いに。

「そういえば、、、ミントがひとりでお出かけするの一生のうちで初めてだよね」

「いっつもどちらかと一緒だったからね」って話しながらミントを送り届けた後の家に向かいました。


いったん家に帰って、骨壺を置く台を急ごしらえで作り、置いてから区役所に向かいました。


のちにもなるのですが、区役所の手続きや、保険の解除の手続きなんかをしていると「ミントも社会の中の存在として生きてたんだなぁ」と感慨深く思います。